インタビュー & 特集
INTERVIEW!『みんな我が子』長塚京三さん‐Part.1
アメリカの現代演劇を代表する作家、アーサー・ミラーの名作『みんな我が子』。この作品に父親役で出演する長塚京三さんにお話を伺いました。(写真/森口信之、取材・文/湊屋一子)
INTERVIEW & SPECIAL 2011 11/30 UPDATE
1947年、ブロードウェイで上演された『みんな我が子』。アーサー・ミラーにトニー賞をもたらしたこの名作は、一見円満に見える家庭の裏庭で起こる、一日の出来事を描いている。ごくプライベートな家族の問題を描きながら、個人の精神や心のあり方を社会的次元の問題へと発展される、ミラー一流の物語。長塚京三さんは、不正を行い、その発覚を恐れながらも、家族に対して強い父親であろうとするジョーを演じる。
「僕ね、若い頃から年寄りというか、年配の役者さんに憧れててね」
映画や舞台を見ては、自分の父親や、祖父ほどの年頃の先輩たち、そして彼らが演じる役に惹かれていたという長塚さん。
「アーサー・ミラーはその頃から好きな作家で、『セールスマンの死』のウィリー・ローマンとか、ああいう役をやりたいと思ってました。でもその当時は19歳か20歳くらいですから、まだまだそんな役をやれるわけがない。
芝居を見ながら『いつかはこういうのを、自分もやるのか』と、ぼんやり思っていたので、今回『みんな我が子』でジョーをやらないかという話をいただいたときは、『ああ、そういう日が来たんだな』と感慨深かったですね」
この作品は60年以上前に描かれた、戦後のアメリカの物語だ。その時代ならではの社会的背景が、登場人物のキャラクターや、ストーリー運びに現れている。
だが、それと同時に、根底には国や時代を超えて、誰もが感じる普遍的な感情が流れており、今、日本で、日本人キャストで、この作品を上演する意味は、そこにあるのではないだろうか。
「設定も感情の動きも非常にリアルな作品なので、(台)本を的確に解釈するところから、すべては始まると思います。
すべては本の中に書かれている。
原作に忠実に、オーソドックスに解析していけば、ちゃんと正しい解釈にたどり着けるでしょう。
あとは僕らがどう説得力を持たせるか。学ぶべきところの多い作品ですね」
そこに描かれているのは、細い幸せのベルトの中で生きている人々。庶民と呼ばれる名もなき人々の、ある一日だ。
「誰も悪人ではない。不器用だけど、みんな家族を愛している。それが、向き合うと悲劇になってくる。そうした人間の本質が、凝縮されている作品です。
そして上演する時代によって、その時々の人の思いが入り、テイストが出る。だからいつ上演しても、観客は自分のこととして共感するんでしょう。
そこが、『戦後』『アメリカ』など、限定的な社会背景を持ちながらも、この戯曲が60年間上演され続け、今後もおそらく上演されるだろうという、ある種奇跡的な作品になった理由だと思います」
そうした作品に、「この年齢になった自分が関われることを、嬉しく思う。自分にとって、今、これを演じることで、大きな成果が出そうだ」と、長塚さんは目を輝かせる。
(part.2)に続く。
★プロフィール
長塚 京三(ながつか・きょうぞう) 1945年7月6日生まれ。
早稲田大学文学部演劇科中退。フランス留学中に映画『パリの中国人』(1973年)に出演。1975年帰国し、そのまま俳優業を続ける。“理想の上司”に選ばれるなど、世代を超えて人気を博し、映画、ドラマ、舞台、コマーシャルなど活動は多岐に渡る。2011年はドラマ『マドンナ・ヴェルデ』(NHK)、『家族法廷』(BS朝日)に出演した。